韓ドラロケ地ウォーカー
アメリカ進出の旅


2006年11月17日〜23日

その2 in ラスベガス

2006年11月3〜6日
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2006年11月20日(月)
いざラスベガスへ!

おそろしいことに5:30起きである。
あっという間の3日間のロサンジェルスを後にし
そう、我々はいよいよラスベガスへ乗り込む。

当然まだ夜は明けておらず
昨日買ったクロワッサンと飲み物で
簡単に朝食を済ませ
最後のパッキングをし、ホテルを後に。
夜明けのロサンジェルスを走りぬけ空港へ向かう。
ところどころ波乱のロサンジェルスだったけど
無事に過ごすことが出来て本当によかった。
ので、最後タクシーはちょっとチップを弾んだ。

アメリカではかなりe-チケットが発達していて
e-チケットだとホテルからでもチェックインが出来たらしい。
我々のようにペーパーチケットは
空港に行き、ペーパーチケット専用のカウンターで
チェックインを行わなくてはならない。
荷物を預け、空港内をぶらぶらする。



一時間弱のフライト(アメリカの国内線)で
飲み物サービスのみ。
乗客は半分ぐらいで、隣が空いていた私は
ゆっくりとくつろぐ(つまり寝てた)。

さてラスベガスへ到着!



空港はやたら広いは
スロットはあるは、ですでにラスベガス気分満点。
一番遠いゲートに到着したらしく
成田にあるモノレールのようなものに乗り、移動。
無事に荷物をピックし、空港内にある
ホテルチェックインカウンターを探す。
(ホテルまで行かずにキーを受け取れるシステム)
インフォメーションセンターでカウンターの場所を聞き
ホテル(パリスホテル)へチェックイン。
一応、部屋のリクエスト(べラージオ側=噴水の見える側)を出すが
空いてないと言われてがっくり。
まっ、インターネットのディスカウントレイト適用ですから。

ロサンジェルス同様、ホテルへのシャトルバスを探す。
シャトルバスのチケット売り場で
お金を出すと、チケットの代わりにカジノで使うチップをくれた。
へぇ〜なんともラスベガスらしいや。
1台満員通過、で次のバスになんとか乗り込み
ラスベガスのお宿、パリスホテルへ到着。

ひょひょひょ〜なんと巨大なホテル!
どっから部屋に行けば???
というぐらい巨大。

無事に部屋にたどり着き
一息ついて、さて。

  


コンシェルジェがどこにいるかもわからない。
広すぎる....
ツアー、と書いてあるカウンターデスクのところで
ネバダ大学とハードロックカフェへの行き方を
聞いてみると親切に教えてくれた。
ホテルから歩いていけるとのこと。
あたたかいし、では歩こう!

てくてく貰った地図を片手に
歩いていく。
賑やかなストリップストリートはものすごい賑わいで
半袖も多い。
ストリップから横の道に入り
まっすぐ行くと、お〜ハードロックホテルがっ。



せっかくなので
ホテル内を少々探索。
噂どおりいろんなアーティストの衣装やギターが
飾られていた。

そういえば今回の旅、レストランで食事していないことに気が付いた
私たち、ランチはハードロックカフェで取ることに。

  

基本、日本のハードロックカフェと変らないんだけど
食事をしていると、いきなりパフォーマンスタイムが始まり
従業員全員が踊りだしてびっくり。
ちなみに曲はビレッジピープルのYMCA。
なつかしっ。

食事も終わり、
お約束のショップでピンを購入。
ああ、満足。


■ホテリアー テジュンが通っていた大学 UNLV
さて、いよいよロケ地 in ラスベガス。
最初はホテリアーで使われた大学。
が、キャンパスマップを日本に忘れてきてしまい
この広大なキャンパスからどう探せば?状態で
とにかく人のいそうな気配がする方向へ
歩いていく。
右か左かまっすぐか。
え〜い、まっすぐ!



キャンパスマップをやっと見つけるも
校舎がすべてアルファベットの3文字で表記されていて
なんかわかりにくい。
でもこっち?という感じで
いくと、ほほほほっ。あったぜい。



ジニョンがテジュンを探しつかれて座り込んでいた芝生。
で、ハン・テジュンを知りませんか?と
聞いていた校舎。



あはははっ!やりましたよ、ついに。
ホテリアーのドラマ見て
ここに来た日本人、何人いるだろう。
と思わず優越感。

ふと日本語訛りの英語が聞こえてくる。
で、一応英語で聞いてみた。
日本人のかたですか?
そうとのこと。この方は日本で長年勤めていたホテルを辞め
この大学でフードマネージメントを専攻している留学生なのだとか。
このビルはドラマのとおりホテルマネージメントの校舎と
教えてくれた。
短い時間だったけど、話が出来てすごくうれしかった。
昔の自分を思い出すなぁ。
私は単なる意志の無い?学生だったけど。
日本人の留学生は本当に多いとのだそうだ。

忙しいところをブックストアまで
案内してもらってしまった。
あと数ヶ月で卒業とのことで
がんばってくださいね、Hさん!


■ホテリアー&オールインロケ地 パリスホテル

またブックストアで大学グッズを買い込み
もと来た道を戻ってホテルへ。
実は私たちが泊まっているホテル自体が
ホテリアーとオールインのロケに使われている。



これはホテル1Fのカフェでビョンホンとヘギョちゃんが
仲良く食事をしていた店。



エントランスはヨンがホテルへ到着するシーンで登場してる。

友はホテリアーで使われた
ヨンが乗っていたヘリコプターが下りた
飛行場へ行きたいと言うが、軽く却下の私。
オールインのロケ地へ力強く向かう。
が、途中でホテリアーのテジュンが働いていたホテルフラミンゴには
立ち寄る。



フロントも見るが、ここは見当違いのようで。
さていよいよ、いよいよオールインだよぉ。

■イナ達がデートした場所 ベネチアンホテル



さんざんさがしてみつけたこのポジション。
そう、ヘギョちゃんとビョンホンが並んでました。
ここだっ。
ああ.......ヨンハの歌が頭の中でこだまする。



ヘギョちゃん座ってたし、ここに。
指輪高いって言ってましたか?
ほんとに高かったデス。




友は関心度やや低く
一人興奮する私。
ああ、来てよかったぁ。
あといろいろとゆかりの場所を回り
もう大満足の私であった。

興奮したらお腹もすいて
軽く食べたくなり、ベネチアンで中華粥を食べることに。

 

本当はベネチアンに泊まりたかったのだけど
とにかく高かったので諦めた。
全室スイートでとてもよいホテルらしい。


次にミラージュで本物の火山ショーを見るために
ミラージュに移動。
タイミグがずれて30分ほど待つ。
さむっ。

 

どう比較してもチェジュのロッテホテルのショーのほうがすごかった。
本家本元はなぜか数分で終わり。
ドラゴンも出ない。

次はベラーシオの噴水ショーを見るために移動。
こちらはすごかった。
音楽にあわせて水が
生き物のように動いてカンドーもの。

  

向かい側のパリスホテルに戻り
ホテル内のロケ地を探索し(ロビーやエレベーターホール)
何気に実は広かったホテルのショッピングモールをプラプラ歩き
明日の朝食を調達し(パン屋さんもあった)
部屋に戻って、シャワーを浴びて就寝。
明日も早起き。
そう、お楽しみのグランドキャニオン。






2006年11月21日(火)
イナも立っていたグランドキャニオン

本日は現地のグランドキャニオンツアー参加のため
5:20分に起床。
昨日買ったパンとミルクで朝食。
ちなみにこのホテル冷蔵庫は全て飲み物が
固定されて置かれており、抜くと課金される仕組み。
そー言えばロサンジェルスのホテルは
ハイアットなのに冷蔵庫が部屋になかった。



まずまずの天気のよう。
6:50にツアーバスがホテルの集合場所やってくるので
カジノを抜けて移動するが、やっぱりこんな時間でも
カジノでスロットを遣ってる人がいるのにはびっくり。

途中、どこかのホテルで他のお客さんと合流し
ツアー会社が乗客の受付を行う。
体重を量り!シールのネームタグを貰って、
見えるとこに貼る。
ネームタグにはグループ名が書かれていて
同じグループは運命共同隊(おなじセスナに乗る)。

一時間ちょっとで空港に到着。
ここで正式にチェックイン。
あとでガイドさんに教えられたのだけれど
途中、死亡者が出る交通事故があり
普通だと空港まで15分ほどで到着するところが
こんなに時間がかかったらしい。
したがってフライトも一時間送れ。



小さな空港でお出迎え?

約一時間のフライトだが
私は万全を期して、酔い止めを飲む。
快適とまでは行かないけど、無事に
到着したときにはやはり安堵感があった。



窓側の席だったので
イナが立っていたっぽい場所(強引に解釈)などを
空中激写。
この日はとても天候がよく
ほとんど揺れず、またこの時期にしては暖かいのだそうだ。

 

グランドキャニオンに到着後はバスに乗り込み
展望台を二箇所回る。
簡単な柵はあるのだが
やはりかなり怖い。
この日は日本人観光客が多かったので
日本人のガイドさんが付いていた。
ガイドさんの話によると
マジメな話、転落事故が年に数件あるんだそうだ。

  

エルトバーホテルという歴史的な高級ホテルまで
歩いてみる。
VIPが泊まるホテルらしい。

 

グランドキャニオンの谷を下るツアーは
ラバに乗って数日かかるそうだが、予約は二年先まで
一杯なんだとか。

その後、空港近くのホテルまで戻り
バイキングの昼食。すぐに飛行機に乗るので
私はほとんど口をつけず。

  

日本人のおじさんの団体客がいて
バスの座席についてアメリカ人の態度に腹を立てたらしく
ガイドさんにしきりに文句を言っていた。
ガイドさんも大変だなぁ。

帰りの飛行機に乗る間際
友達が帽子をレストランに忘れてきたと言い出す。
ガイドさんに見つかったら届けて欲しいと
依頼する。

帰りの飛行機も同じ乗客
同じパイロット。
私は一番前の席だったので、操縦席が丸見えで
案外リラックスして操縦してんだなぁと関心?した。
帰りは「気分が悪くなったら袋が前のポケットに入っているので
使ってください。でも家にもって帰ってくださいね」
と、行きには言わなかった説明を受ける。
でもほぼ全員が爆睡状態。
帰りもほとんど揺れなかったので
よかったぁ。

無事にラスベガスに戻り、
その途中で朝の交通事故の残骸を見る。
スクールバスが真っ黒こげになっていた。

ホテルに戻ると友が
「ホテリアーのヘリコプター乗り場に行こう!」と言うので
出かけるが、なんと跡形も無く。



何が建てられるんだろうか。


■オールイン ロケ地 in ラスベガス


ここまできたら
何としても残りのオールインのロケ地に行かねば。
気の進まない友を促し
ダウンタウンへバスで移動。二階建てのダブルデッカー。
ロサンジェルスと同じく、通りの名前をアナウンスしてくれるので
利用しやすい。
さてさて。
来ました、来ましたオールインロケ地!
アーケード自体はひなびているけど
私は大感激!
このアーケードのショーは東京のビーナスフォートが
まねをしている元祖。

  

まずは似顔絵を書いた場所。
ああ、そうだよねぇ。ここだ、ここ。


 

イナが立っていたよね。ここだ、ここ。
アーケードのショーも見たかったけど
いつ始まるか分からないので
ホテルのカジノを覗いて(カジノは写真撮れない)
ここらでまわし蹴りをしたか?と想像し
再びホテルに戻ることに。
ストリップストリートに戻るバス停のところで
アジア系の品の良い夫婦に
バスの値段を聞かれる。
ホテルで聞いたばかりだったので
詳しく説明すると、感謝され世間話などをする。

ホテルに戻り、「ホテリアーで使われたレストランで食事しよう」と
言うことになり、コンシェルジェに聞いてみ見ると
クローズしたという。



友はヨン好きなので、すごくがっかりしていた。
仕方が無いのでホテルのバッフェ(バイキングで
ラスベガスのホテルはこれが有名)の夕食を取ることに。
これが行列のできるバッフェ!

  

30分ほど並び
死ぬほど食べて、部屋に戻ると
電話のメッセージランプが点灯している。
フロントに電話してみると、友が忘れた帽子が
ツアー会社から届いているとのこと。
これはかなりびっくりした。

明日はいよいよ帰国、4:00起きなので
パッキングを行い、就寝。



2006年11月22日(水)
いよいよ帰国。さよならアメリカ。


4:00起床。
ミルクだけの朝食を済ませ、チェックアウト。



まだ夜が明けきっていない。
タクシーで空港の国内線乗り場へ。
来たときと同じくペーパーチケットのチェックインカウンターへ。
荷物は成田までピックしなくていいとのこと。
無事に同じ飛行機に乗ってくれればいいけど。



LA行きのゲートは日本人ばかりで
ここはどこ?羽田か?状態だった。
LA行きの客室乗務員が日系人だったらしく
おじさんたちと会話を楽しんでいたのを
半分眠りながら聞く。

ロサンジェルス空港に到着。
さて国際線に乗り継ぎ。
どこに行けば?
ANAなんてここではマイナーな航空会社なので
何度も聞きながら、最後はビルの外の横断歩道を渡り到着。
本当はモノレールで移動できたらしいけど。

無事に成田行きの便にチェックインし、ああ、これであと乗るだけね〜
といいながらセキュリティーをくぐる所で
いきなり「動かないでください!何も触ってはいけません!」
空港係員がどなってる。
何事?!
前に並んでいた東洋系のおじさん
英語が理解できなかったのか
自分の荷物をとっさに確保しようとし、何度もさわっちゃ駄目!と
叫ばれていた。
まるで静止画のような状態が何分か続いた後
「ご協力ありがとうございました」と
何事もなかったかのようにふつーに戻る。
ああ、やっぱりここはアメリカなんだな、とつくづく思った。

機内に乗り込むまで時間がかなりあるので
数少ない店を全部回り、ドルを使い切る。
そして機内へ。

   

映画も行きと同じなので
かなり退屈だった帰り。そりゃそうだ。帰るだけだもん。
帰りなので酔ってもいいやと、珍しく
ご飯をしっかり食べる。
一回目がしょうが焼きで、二回目がパスタ。

11時間以上のフライトを経て
無事成田に到着。
とりあえず何事も無く帰国できたことを友と喜び
友はバスで私は成田エクスプレスで帰宅。

本当に楽しいアメリカ旅行だった。
久しぶりで英語力の衰えに愕然としたけど
楽しめたことに感謝、
無事に旅を終えたことに感謝
そして何よりも同行の友に感謝して。

2006年11月



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