韓ドラロケ地ウォーカー
ヨーロッパ進出の旅


2007年12月22日〜31日

その2
ウィーン

バードイシュル&ハルシュタット編

2007年12月25〜27日
韓ドラロケ地へカジャ!HOME
2007年12月25日(火)
クリスマスはウィーンで。

早朝に鉄道でウィーンに移動するため
寝坊しないか何度も夜中に目が覚める。
3:00ぐらいから半分起きてウトウト状態。
5:30には体を起こし、シャワーを浴びてパッキングを完了させて
食事をするべくレストランへ。
美味しい朝ごはんをゆっくり食べることも出来ず。



昨日、店が閉まっていて何も買えなかったので
ホテルの冷蔵庫の水だけ(無論馬鹿高いが)買う。
炭酸系とそうでない普通の水の二種類あるが
どっちだい?!多分、ブルーのほう。
えいや、でビンゴ〜。よかった。
普通の水を無事選択できたところで、チェックアウト。
チェコのお金が結構余っていたので
水だけは現金で払う。

昨日、練習したとおりに、地下鉄で鉄道の駅に荷物ゴロゴロと移動する。
プラハの地下鉄一日券は正確に言うと
購入して時刻をパンチしてから24時間使える。
バンクーバーのスカイトレインなどと一緒で
改札が無く、乗車中に抜き打ち検査があるのだ。
私は昨日買った24時間券がまだ有効なので
それで乗っていたのだが、いきなり大きなゴールドの
バッチを私の目の前に掲げる男性アリ。
なに?と思っていたら「チケット」と言っている。
なるほど。これが抜き打ち検査なんだ。
もちろん手持ちのチケットを持ち見せて、OK。
そして鉄道の駅に到着。

 

ユーロを全く持っていなかったので、駅で5000円分だけ換金する。
うっ、すくなっ。まぁホテルまでの移動費には足りるだろう。
クリスマスの早朝、国際列車なんか乗るやついねーよな、と
思っていたら日本語の会話が聞こえてきた。

今回の旅、一人旅のこともあり
鉄道については
・指定
・一等席(取れる列車は)
のチケットを日本で購入していた。
JRと違い、指定は振り替えが効かないそうなので
何としても乗らないと!

日本人のグループは別の車両だったのか
私の車両はほとんど人が乗っていなかった。

 

チェコの列車は、コンパートメントではなく
荷物置き場が連結のところにあるタイプだったので
この時のために購入していた防犯用のチェーン
(自転車なんかに良く使う鍵付きチェーン)の出番だよ。
ところが。ところが。
3つの数字をあわせるタイプの錠前だったのが
なんと開かないよぉ。せっかく持ってきたのに
役立たずかよぉ。と、めげてはいけない。
こんなこともあろうかと、予備の鍵を持ってきていた私。
おもむろにスーツケースを全開し
予備の鍵を取り出して、荷物をくくりつける。
あはははっ。どうだいっ?

そうこうして無事に走り出すと
おねーちゃんが朝ごはんを持ってきてくれた。
あれ?これタダなのかな?と躊躇していたら
テーブルの上に、どんどんどんと置いて
「お茶は?」とおっしゃるので、それはお断りした。
4時間以上の列車の旅である。
景色をぼっ〜と見るも
思ったよりテレビの世界の車窓的でもないので
やや退屈する。途中、吹雪きだし。ウィーンは寒いのかな?



いや、寒いのは列車の中。
くしゃみばかりしていたら、うるさかったのか
誰も乗ってないと思っていたのに
おばさんが一人、「これ使いなさい(と言ったんだと思う」と
ポケットテッシュを一袋くれた。
チェコの人は本当に親切で、どの人もニコニコしている。

つい最近、チェコからオーストリアの国境での入国手続きがなくなったらしく
オーストリアに入ったところでもう一度改札があったが
パスポート提示はいらないといわれた。
最近ヨーロッパを旅行すると
入国のスタンプがもらえなくて寂しいと聞いていたが
なるほど寂しい。

終点まで乗っていればいいことは分かっているが
なんか不安だなぁ。到着予定10分前から
コートも来て、荷物も手元に
出口近くの座席でぴしっと待機の私。
そしてやっとウィーンに到着。

 

ウィーンには幾つか鉄道の駅がある。
東京で言うと上野駅に東京駅といったところだろうか。
あいにく私がついたのは上野駅。
ホテルがあるのは東京駅近く。
この旅には幾つか難関があるのだが
この駅からホテルまでの移動が最初の難関だ。
空港からホテルへはリムジンバスが出ているが
鉄道の駅からは公共交通機関か、タクシーになる。
ガイドブックによると、トラム1本でいけるらしいが
トラムは停車駅が分かりにくい。
どっち向きに乗ればいいのかもわからないので
インフォメーションセンターで聞いてみると、
おじさんは、無愛想に日めくりカレンダーのようなものをめくり
#18というところで、指差す。
18番のトラムに乗れということだ。
なんと愛想の無い!で、めげずに.どっち行きに乗るんだ?と聞くと
こっち、チケットはどこで買うの?あっち。
こんな具合で、にこりともしない。

チケットはプラハと同じような感じで
自販機が英語メニューに変えられるので
それで操作するも動かない。
隣で試す。動かない。
日本じゃ考えられないが壊れている発券機が多いのだ。
やっとチケットを買い、トラムに乗り込むが
運転手に質問できるようになっておらず
(運転手はガラスに囲まれている)
おいおいどこで下りるんだ???
ガイドブック頼りで10分ぐらいで着く、とあったので
10分ぐらい乗ってみる。............。
駅らしくない。あれ?これ駅???
でも小さくない???
と、回りも下りるので下りてみたが。
う〜ん。どうやら地下鉄の駅(っても地上にある)らしい。
これでも目的地に行けそうなので、乗り込むことに。

さて無事に目的の西駅に着くも、ホテルはどこじゃ〜
二つのインフォメーションセンターで右だ左だと聞き
やっとホテルへ到着。
ああ、疲れた。
なのにフロントはやけに無愛想である。
オーストリア人とはこんなものか?

   

プラハのホテルと同系列のホテルで、しかも一つランクが上なのだが
部屋は狭い上に、ポットも冷蔵庫も無い。
ただ西駅の裏側で、駅にはスーパーやいろいろとお店があるので
便利ではある。

荷物を置いて、体制を整え、列車で貰った昼ごはんを少し食べて
さていくぞ〜。
と、その前に両替せねば。
駅の両替所で10000円をユーロへ。
なぜかかなり並んでおり、30分ほどかかる。
500ユーロちょっとにしかならない。
悲しいなぁ。


■春のワルツ ウニョンが歩いていたウィーンの町並み
さていきなりウィーンお上り観光である。
ウィーンといったらこのシュテファン寺院らしい。
この世のものとは思えない。
絵画のよう。
周りの人も思い切り観光客、カメラで撮影しまくりで
観光客以外いないのか?といった雰囲気であった。


 

日没まで少し時間があるので
モーツアルトハウスに行くことにした。
が、わかりにくっ。モーツアルトハウスに行こうとしている
何組かの観光客らしきグループとウロウロ。
本当に分かりにくいところにあった。
ここには数年しか住んでいないらしいが
フィガロの結婚はこの家で作曲されたとか。

  

このアパートの前の道なんて
モーツアルトが生きていた頃から
あまり変わってないんだろうな、と思うととても不思議な気がした。
ハウスの前のショップのデスプレイもなんだか
ミステリアスな感じで。
併設されているショップで少々買い物をする。


■春のワルツ ウニョンとフィリップが歩いていたグラーベン通り

夜のシーンなので分かりにくいが
フィリップがウニョンにあれやこれやと親切にしながら
歩いていた通りである。

すでに日没になっていたので、イルミネーションがきれいだった。
これはクリスマスだから、というわけではないようだ。
ちなみに周りの店は、クリスマスのためほとんど閉まっていた。



この通りを抜けるとなぜかブランド通りで(無論店は閉まっている)
その先は王宮。

遠慮がちにライトアップされていた。



かなり寒くなってきたので、そろそろ引き上げることに。
地下鉄で西駅まで移動し、駅で今晩のご飯を調達。
毎度地味な晩御飯。

 

これでも日本円にすると800円ぐらいしてしまう。
ああ、恐ろしいユーロ高。

部屋に戻るも相変わらずテレビで分かるのはCNNぐらいで
やることもないので8:00前に就寝。





2007年12月26日(水)
ウィーン最終日は。

暑くて目が覚める。
寒いと思い、毛布を三枚がけしていたのだが
寒い国は部屋は暖かいのである。
今日はゆっくりしようと思っていたのに
結局6:00ぐらいに起き出す。

朝食は6:30からだと言っていたから
朝食の前にロビーの隅にあったPCを覗く。
日本語は読めるが書き込めない。
日本を離れて数日たつので
日本のニュースも気になるが
とくに大きなニュースは見当たらないよう。

さてお楽しみの朝食。
いやいやこの旅行で最も朝食が良かったのが
このホテル。
パンもフルーツも飲み物もおかずも
充実しまくり!感動だ。
たっぷりと朝食を取る。
食事をしていた半分は日本人。
誰も気がついていなかったようだが
緑茶のティーパックがあったのだ。
思い切り食事したあと、緑茶をゆったりと味わった
私であった。

 

天気はどんよりくもり。
8:30に出発。にこりともしないコンシェルジェに
「オペラ座のシアターツアー(正式にはガイドツアーと言うらしい)に
行きたいが、きょうやっているだろうか?」と質問するも
なかなか通じない。
おそろしく笑わないコンシェルジャは無言のまま
PCで検索したあと、「今日はやっていない」と言う。
あと行きたいところを幾つか聞いて行き方を教えて欲しいをいううと
棚から街の地図が出てきた。
不思議なことにウィーンは
インフォメーションセンターにも地図がおいていなかった。
いわなきゃくれないのか?
地図ぐらい早くだせよ〜と言いたくなる。
フロントに置かれているのは
所謂宣伝的なパンフレットばかり。

駅で乗り物一日券を購入し、まずは外からでも眺めようと
オペラ座最寄り駅で地下鉄を降りる。
早朝で車はあまり走っていないのに、馬車は走っている。

 

オペラ座、確かに閉まってる。
残念だなぁと思いつつ通り過ぎると
「ガイドツアー入り口→」の看板。
おや。と矢印通りに言ってみると。
26日10:00から英語、15:00から日本語ツアーとあるではないか!
時計を見ると9:00ちょっとすぎ。
少し時間をつぶして戻ってくることにする。

■ウニョンがトラムに乗ろうとしていた場所
ウニョンが見ていた同じバス停だぁ。
 

どんより曇った朝なので、ヨーロッパの冬らしい?
ガイドブックによると、モーツアルトの銅像も近いので
行ってみる。
朝もはよから日本人の家族れが写真を撮っていた。

 

銅像の前にはト音記号。冬で芝生が禿げているが
季節によっては綺麗に花で色づいているらしい。

さてそろそろ丁度よい時間となり、オペラ座に戻り
10:00からの英語ツアーのチケットを購入し
入場しようとすると、見るからにガイジンのもぎりの人が
「日本人の方ですか?」と話しかけてくる。
びっくり。3:00から日本語のツアーがありますけど、と
親切に教えてくれる。が、英語で参加しますといい
ツアー開始まで待っていた。前に並んでいたのは
日本人の老夫婦。
すると先ほどの女性がやってきて
「日本人の方いらっしゃいますか?」と聞くので
手を上げると、ドイツ語のツアーがキャンセルになり
日本語のツアーをやれるので、どうぞとのこと。
つまり私たち3人でたっぷりと日本語で
オペラ座の解説を聞けることになったのだ!
ラッキーだ。
ウィーンのオペラ座は戦災でかなり破壊され
全てオリジナルではないそうだが
やはりすばらしかった。

  

ツアーではVIPルーム、客席や舞台などを解説付きで
案内してくれる。
昨日はクリスマスで、「魔笛」が上演されたそうだ。
オペラ座の音楽ダイレクターは古くはカラヤン、今は小澤さんである。
ガイドさん、日本語が完璧だったので
きっと日本育ちだろうな(写真右端)。
なお、ウィーンのオペラ座には怪人、幽霊の言い伝えはないそうだ。

  

今日はバレエの演目だと言っていた。
立ち見エリアも案内してくれたのだが、噂どおりかなり狭い。
魔笛のような人気演目だと、ぎゅうぎゅうになるそうだ。
最後、お決まりのショップに立ち寄り、少し買い物。

■春のワルツ ウニョンとフィリップが再会する場所、ウニョンが歩いていた場所

このあたりはウィーン観光のド定番スポットである。
一人歩いていたら、日本人の観光客に道を尋ねられたりした。
ツアーできたという年配の女性二人組みで
今日帰るとのことだった。

 

ガイドブックによると、幹線トラムがありウィーンのダウンタウンを
一周するとのことで、乗ってみる。
川が見えたので途中下車。ドナウ運河らしいが。
これ?

 

ちょっとがっかりして、そこからダウンタウンに歩いて戻ることにした。
ちなみにウィーンは本日も祭日であり
店は.....閉まっている。開いている店はほんの一部だけ。
ちょっとお腹がすいたが、とにかくユーロの持ち合わせが少ないので
ウィンドウを覗くだけ。

さて行きたかったところのひとつ、マリア・テレジアの棺が安置されている
皇帝納骨所に行く。
びっくりしたがなぜか街中の地下にあるのだ。
で、ここも団体客といっしょになってしまい、本当に混んでいた。

 

ウィーンでは観光地的な場所には
写真のように赤と白の旗が掲げられているので
これが目印になる。
が、ここはとてもお墓とは思えない普通の町並みにあり
摩訶不思議だ。

太陽が出ないとかなり寒い。
シェーンブルン宮殿へ行く前に途中下車してホテルに一度戻ることに。
あまりに寒いので、一度部屋に戻ると
出かけたくなくなるか?!
頑張って完全防備で宮殿へ。

駅を降りると明らかに同じ目的の人が
ゾロゾロ歩いている。
いろいろとチケットがあり、まるでテーマパークのよう。
私は高い「いつでも入場制限無しのチケット」で入場。
前に並んでいたのは若い日本人の夫婦だった。
ヨーロッパのすごいのは
この手の施設は100%クレジットカードが使えることだ。
おもむろにクレジットカードを出す私。
カードの機会の反応が遅く
係りの人が「今日は忙しくて疲れてんだよ」と言うので
思わずおやじギャグに大笑い。
ここだけではないが「ダンケ、マダム」と言われる。
アジュマ、おばさん、マダム
つまるところ私に対する呼称は万国共通らしい。

  

やはり宮殿の前はクリスマスマーケット継続中といった感じで
出店がたくさん出ていた。
ホットワインが多いようで、アルコールのにおいが充満。
宮殿内は残念ながら撮影禁止で、40近い部屋があり
エリザベートの寝室や、マリア・テレジア、アントワネットの部屋などもあったのだが。
とにかく混んでいて、進めない場所もあったほど。

地下鉄でまたダウンタウンに戻る。
途中、ガイドブックにも載っていた
オペラトイレ、なるものに入ってみる。
細かいコインが無かったので、お釣りが出ないけど
まぁ寄付の気持ちで。



外側からはすごそうに見えたのだが
中はふつーだった、案外。ただ始終音楽は流れていたけど。

さて次は憧れのホテルザッハーで買い物をするために
ホテルに向かう。言わずと知れたザッハトルテの元祖、である。

 

カフェは予想通り並んでいたのでパスして
ショップで紅茶を買い求める。

今度は皇女エリザベート御用達のカフェDEMELへ。

   

何点か買い求める。カフェも混んでいた。
ホテルに戻り、荷物を置いて駅へ食べ物の買出しへ行く。
さてテレビをつけようとすると、つかない!
電池切れか?
フロントにリモコンを持っていくと
やっぱりニコリともしないフロントが、電池を探すも無いという。
あとで持ってくるからと。
ああ、早く寝たいのになぁと思っていたところにやっと
届いたリモコン。
やっぱり付かない。あ〜あ。
明日、バードイシュルへ出発するので、準備をして就寝。





2007年12月27日(木)
世界一美しい湖畔の街へ。

いつものように5:00過ぎに目が覚める。
寝るのが早いとも言うが。
TVが付かないので、無音状態。
なんだか落ち着かない。
実はアメニティと一緒にアヒルが置いてあったのだが
これって持って帰っていいのかなぁ、と悩みつつも
連れて帰ることにする。

 

早めにロビーに降り、PCを使おうとするが
先約あり。なかなか長そうなので、諦めてレストランへ。
朝ごはんだけは美味しいこのホテルでの最後の朝食。

部屋に戻り、パッキングしてチェックアウト。
いよいよオーストリアを鉄道で縦断する旅の始まりである。
ホテルは駅から数分のところにあるが
プラハでも列車はかなり前から停まっていると思われるので
1時間前にホテルをチェックインし、駅に向かう。

  

まだ夜は明けきっていない。駅の時計は7:30を指している。
さてこの旅二番目の難関に向かわねばならない私。
そう、ウィーンからAttnang Puchheimという駅で
ローカル線に乗り換えるのだ。上手くいくか?!
インフォメーションで、乗り換えホームが分かるかもしれないと思い
聞いてみると。ぶっきらぼうに私のチケットを見て
「乗り換えなくていい。これは直接バードイシュルまで行くから」
あんた嘘言ってないだろうね??
にわかに信じがたい。
11フォームのザルツブルグ行きがどうしてバードイシュルに行くんだ?
11フォームの前にも
案内の人がいたので、聞いてみた。
(ちなみに質問していた先客は日本人の母娘連れ風の二人組み)
するとやはり乗り換えで、乗り換えの列車番号を教えてくれた。
プラットフォーム番号が分かるか?と質問すると
小さい駅だから大丈夫よ、と言われる。

さていよいよ列車に乗り込むと。
  

所謂コンパートメントタイプの車両である。小さな子供を連れた家族連れと
同室である。
動き出すとすぐに改札があり、チケットを見せると
「どこにいくんだ?」と聞かれる。
私のチケットはいろいろと束になっている。
バードイシュルと答えると、隣の車両は直通だからそっちに
乗ったほうが良いと言われる。
つまりこれは連結車両で、途中からローカル車両とザルツブルグ行きに
別れるらしいのだ。
しかし指定はないので、隣の一等席の開いている場所を探す。
老婆が一人。アジア人は煙たがられるが
背に腹は変えられない。
迎え側に座ると、足が延ばせないからそこに座るな(と言ったんだと思う)
電気をつけようとするとわめかれる。
なんだよ、暗いまま?
このおばあちゃんとどこまで付き合わなきゃいけないんだろう....



せっかくの一等の列車の旅なのに。
おばあちゃんは結局、私が降りる一つ手前ぐらいまで乗っていた。
さて、降車も緊張しなくてはならない。
2〜3分しか停車しないからだ。
バードイシュルではかなり人が降りるらしく
降車口には人が集まっていた。
上品なおばあさんが「バードイシュルまで行くの?」と英語で質問してきたので
はい、と答える。
そして無事に到着!
ここはハプスブルグ家の別荘地として有名で
温泉地。

  

ちっちゃな駅にも、まだクリスマスツリーがあった。
街も小さいので、ゴロゴロと荷物を引っぱりながら、簡単にホテルへ到着。
チェックインは14:00というので、荷物からマフラーを出したあと預けて
もう一度駅にハルシュタット行きの時刻を聞きに行く。
一時間後というので、街をぶらっとしてみる。

■春のワルツ 二人が最終回で再会した橋

 

かなり天気が良い。ので、逆にイメージが違って、ここかな?
という感じがする。
もたもたしていると列車に乗り遅れるので
駅に戻る。

さてローカル線でさらに下り、目指すはハルシュタット。
ほとんど誰も乗っていないローカル線に
聞こえてくる韓国語。どうやら若いカップルのようだ。



30分ほどでハルシュタットに到着。
数人降りたが、なぜか全員アジア人。
駅から、小さなフェリーに乗り込む。
美しい〜。対岸には町が見えてくる。

  

フェリーが到着するとそこはもう、信じられないぐらいの美しい町並みが。


■春のワルツ ウニョンたちが泊まった街

いやいやドラマのまま、である。
美しすぎる。

  

ウニョンたちが泊まったホテルが見つかるか、心配だったが
最も美しい眺めの場所にある民家だった。
この家から(真ん中の写真の)風景が見えるのだ。すごすぎる。
ちなみに日本人観光客が団体で来ており
「チェハがいた階段どこかしらね〜」と声がしていた。
ザルツブルグから日帰りツアーだと思う。
また中国語を話す若いグループもおり
私はアジア系以外、この町で遭遇しなかった。
アジアのパワーか?

そろそろ日没も近くなるので
1時間半ほど滞在し、またフェリーに乗り戻る。

  

本当に美しい。天気が良かったのでなお更だと思う。
ちなみに真ん中の写真に写っている男の子(中国系?)は
行きも同じ列車で、帰りも同じ、ホテルも同じだったので驚いた。

無事にバードイシュルに戻ってくると、ほとんど日没。
少し街をぶらつき、この街で有名だというカフェを覗いたりし

 

ホテルへ。やっとチェックイン。

     

何が驚いたかって、エレベーター。
ドアを手前に引いて、乗り込むのだ。降りるときは、ドアを押す。
スーツケースを片手に狭いエレベーター(こちらではリフトと呼ぶ)で
降り方が分からず(ドアを押せばよかったらしいが)
上から下まで何往復かしていたところ
ハルシュタットで見かけた男の子が乗ってきて、
私の部屋がある2Fで、私がまた降りようともがいてら
ドアを押してくれた。
なんだ押すのかいな、このドアは。
私の部屋は211号室。
なかなか可愛い部屋だった。ドアが一杯ある。寝室はドアで仕切られていた。


 

荷物をいったん置き、食料求めてまた外へ。

   

ゆったり歩きながら、綺麗な暮れ行く街を写しつつスーパーで夕食調達し、
ホテルに戻る。
明日は出発なので
あまり荷物は広げずに、テレビを見ながら夕食を取り、8:00前に就寝。
明日はザルツブルグへ移動する。


 

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